2017年衆議院選挙について
おはようございます。
私は、選挙の日ですね。
けっこう周りでは期日前投票を済ませている人が多かったです。
あるいは、最初から投票しないことにしている親族もいました。
投票という行為は、とても不思議なもので、どんなに与党の応援していても、あるいは特定の野党を応援する言動をしていても、選挙でどこに投票したということが、全くわからないのです。
それが、たとえ、立候補であっても、「やっぱり当選したくないな」と思ったら、自分自身に投票していないかもしれないのです。
さすがに、ちょっと無理がありますか?笑
そのなんというか、疑心暗鬼で不思議だな、と思うわけです。
それで、投票結果をみて、どういう意図が有権者になったかを、それらしく分析する。根拠、原因がなんだかよくわからないけど、解釈を加えてる。
ごくごく当たり前のことですが、普段の生活では決してない、なんだか変わったイベントだなと思うわけです。
じゃあ自分が、今回、どうしたかというと、
その、具体的な政党や候補者を出すと違反らしいので、なんとかなくぼかした表現をしています。まぁ、こんな出来たてのブログに何の影響力もないのですが、特定の政党、候補者への投票の呼びかけの意図はまったくございません。
保守とか、リベラルとか、革新とか、そういう言葉の定義のねじれ、ゆらぎ、限界のようなものを多いに感じた選挙でした。
与党は優勢ではありましたが、混沌とした感じがありました。
大事だなと、思ったのは二つあって、
一つは、世の中がより良い、よりマシな方向に変わっていけること、
もう一つは、日本の雰囲気が少しでも、多様性に寛容で、相手の背景などを尊重するような他者に対してのゆとりがあるふうに変わっていけること、
そういうことを考えて投票しました。
自分が求めている変化を100パーセント実現する政党、候補者なんて存在しないし、そもそも、自分が何を求めているのかを自分で100パーセントわかるということもできないですし、
なんというか、自分の理想を実現する政党や候補者がいないと嘆いていたのは、私はいくらか傲慢だったかもしれないと思いました。
政治には期待しすぎてもいけないし、いや、「いけない」というのは、禁止を強いていますね。
その。期待しすぎるのもアレですし、諦めてしまうのもアレだな、というのが今回の選挙戦の感想でございました。