機上にて

 

取り立てて書くことはないのだけれど、とりあえず、せっかくまとまった時間があるから、ブログを書いてみようと思いました。

 

バリ島行の機上でございます。

 

書き始めてみるとですね、意外にですね、まぁ、すいすいと筆が進みましたね。(フリック入力 by iPhone

 

どうぞ、お付き合いください。

 

このところ、というか、この数ヶ月、いろんな表現を真似したり、エッセンスを抜き出したり、エッセンスじゃなくて枝葉末節でもあっても自分の中に取り込みたいと思っておりました。

 

映画にしても、ドラマにしても、アートにしても、メールの文章であっても、そこから受ける、情報の感じ、のようなものを取り入れております。

 

取り入れて、自分なりの表現を日々、実践しながら、探しております。基本的には文章を書くことです。その次に、副次的に、TwitterInstagramで投稿しています。

 

さらに、友人関係における会話もその中に入ってくると思いますし、仕事におけるアウトプットや成果物も入ってくると思います。

 

あらゆる表現という表現が、自分の中の、感覚、感性、世界観に左右されてくる気がするんですよね。

 

それらをこねくり回して、鍛えて、作り上げた時に、何の役に立つかわかりませんが、自分が生きてきた、生きていることの、何らかの証になるのではないかな、と考えております。

 

そういう意識をもって、日々生活をしております。

 

なんと言いますか、

 

アーティスト、というとお高くとまっていて、いやみに聞こえることこの上ないのですが、その、なんというか、表現がしたいんですね。

 

自分の世界観のようなものを。

 

それが何なのか、このブログでは手を変え品を変えやっておりますけども、

 

ちょっとずつ、自分のそれを自覚したりしながらも、まだ掴みきれてなくてモヤモヤしたり、そういうことを繰り返しながら日々、文章を書いているわけです。


例えばですけども、今は、野球をテーマにした作品を(自分で作ったものをこう呼ぶのは、おこがましいですが、他に適切な表現がないので「作品」と呼びます)作っております。

 

当初は、人工知能や自動運転などを取り入れた、近未来的、スペクタクル的(スペクタクルの意味は知らないですが、それらしいので使います)、エンターテイメント性の高い作品を作ろうとしていました。10月くらいから、ほそぼそと拵えていました。

 

近未来のプロ野球はこうなるだろう、という未来予想図のようなものを書いていました。

 

が、

 

1万8000字くらいまで、すいすいと書けていたのですが、そこからどうしても伸びなくなりました。 

 

壁にぶつかりました。

 

野球と近未来のテクノロジーというところから出発したのですが、その一定の字数に達したところで、自分の中で大きな違和感が起きてしまって、ニッチもサッチもいかなくなりました。

 

それで気づいたのは、

野球そのものや未来ではなくて、自分と野球の関係性について書きたいのだな、ということでした。結局、自分がどう思うか、自分がどう感じるか、という自分本位なところに落ち着いてしまうのです。

 

自分とその対象についての関係性、自分はその対象についてどうように捉えているか、というのが、一貫したテーマのような気がします。

 

なんなんでしょうね、途中で書きたいことが変わってくるのは。そういう変節は。自分という人間が、意志を持ってやっているの確かなんです。ですけど、その違和感のようなものは、自分でもわからないのです。

 

違和感を処理して、その後に、自分の中か湧いてくるものを追加する。その湧いてくるものというのが、どうも自分の意志を超えているような気がするのです。 

 

自分の意志を超えている。その一方で、自分本位ものを書いている。なんとも不思議なものなのです。

 

そういう自分の「感覚・感性・世界観」というものに、文章や写真などの表現を通じて、なんらかの形を与えております。そういうことに、僕は、根拠のない自信とこの上ない喜びを感じているのでしょう。

 

どういうものが出来上がるのでしょうね。

このへんで失礼します。

 

それでは