今を生きないようになって

 ここで言う、「今」というのは、流行りとかトレンドとかテレビやニュースなどです。日々、世間や世の中というところで話題になっている情報です。

 

そういうものについて行かなければと、思っていました。でも、それに時間を費やしていても、同じような情報に触れた人間と同じような考え方になるだけだ、という気がしました。

 

なんだか、それが嫌だったんです。

それで、頑張ってついていかなくなったというのが正しいですね。

 

特に、自分で文章を書くようになってから、それをすごく意識するようになりました。

 

今、書こうとしている話は、この前誰かがテレビで言っていたとか、この前誰かがツイッターで言っていたとか、

 そういう情報の出所に、気づいてしまうんですね。生きている限り、多かれ少なかれ、そういうことはあるのですが、

 

ただ、なんとなく情報に触れているということが嫌になったんです。なんとなく自分の頭の中に入って、なんとなく理解したような気になって、しばらくすると頭の中から跡形もなく、消えてしまっていて、

 

なんだか、むなしい気分になるんです。

 

逆に、文章を書くと、特に小説を書くとします。たとえば、野球について自分の考え方を書こうとします。

 

すると、「これは自分がなんとなく感じていることは、プロの選手はどういう意見を持っているんだろう?」

 

と疑問を持ち、プロの選手のインタビューとか、本とかをみて、それがものすごく勉強になるというか、頭に入るんですね。

 

それを見て、自分の感じたことを話したり、書いたりすると、この世がすごく生き生きしたものに感じられるのです。

 

そういうふうに、なんとなく世の中について行こうすることをやめて、自分の興味に従って、物事にふれると、毎日がとても楽しくなります。

 

 

なかなか陳腐な表現ですね。ほかにもっといい言い方があると思うんですけど、これが今の私の限界なんです。

 

なんというべきか、自分が意識していなかったところに、光が当たるんです。自分の軸で、自分の感性で、しっかりとこの世に自分がいるのだな、と感じられるんです。

 

そんな感じで、この頃は生きています。

 

ありがとうございました。